ミカクニンの黄金体験記

日記、音楽投稿、動画投稿、アニメ等のレビューを行います。初めましての方は初めまして。お知り合いの方はいつもお世話になっております。変態な人間になるべく、このブログを始めました。18年9月より、半年以上のブランクから復活しました。読者になるをポチッとしてくれたらお尻フリフリします。

77連敗を重ねた私の就職先が、遂に決まった話

どうも、おはこんばんにちは。

 

 

はじめに

私は昨年このような記事を書きました。

uma-gold-experience.hatenablog.com

タイトルにもありますが、その就職活動に、遂にピリオドです。

…いやぁ、本当に長かった。

3年生の10月から就職活動をはじめ、現在(5年生の1月)まで合計で2年以上かかったことになります。
どんなところに就職が決まったのかと言いますと、最終的には『若者の教育に関わること』を生業とすることになりました。

 

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まさに、卒業

 

就職活動における軸

私の今までの就職活動の2軸は「人を幸せにすること」と、音楽やアニメなどの「エンターテイメントを活用すること」でした。

長い就活期間を経て、途中鬱病にもなったりしましたが(診断されたわけではないですが)、最後に残った軸は前者の「人の幸せ」でした。

もっと言うなれば、私の想いが強くある「中高生の幸せ」というのを目指そうと思いました。

後者の「エンターテイメント」というのは、あくまで幸せを届けるための手段である、と割り切りました。

そもそも私がエンターテイメントでしたかったことは、皆のエンターテイメントの解釈を増やす・変える、といったことであり、『結局それって1人でやれるやん』と思ったために就活からは切り離しました。

例えばこのブログだって、読んでくれた人にエンターテイメントの新しい解釈を与えている…かも…じゃん?

正直に言うと、エンターテイメントというキーワードは、大学4年間を通じて悪い形で造られた私のプライドだと思っています。

周りの友人と私を比較し、「彼らを驚かすことができ」「私が楽しめて」「世の中に新しいものを生み出せるものは何か」と考え抜いた結果のプライドです。

 

色々考えに考えたけど、いずれにせよ、今の私は自分の選択に100%納得していているので、本当にお疲れ様と言ってあげたい。w

 

採用に至るまで

さぁさぁ、じゃあ何だ、どうやって受かったんだって話。

(ここは凄く自己満足の文章になっています…w)

プロセスとしてはこんな感じ。

 

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[12月]2週間で2回の面接

[1月]1ヶ月弱のインターンシップ

[2月]内定

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本当に今までの力を総動員しました。

 

一次面接前に【私について】という題の、私の脳を解剖する資料を4,5枚に渡り作成し、一次面接後には【新規事業立案】という題の資料、二次面接では【キャリアプラン】という題の資料、最終面接には【インターンのまとめ】という資料を作りました。

さらには二次面接の際、今まで最終面接で落とされてしまったこともあったために『私のことは面接ではわかりません。一緒に活動してみて判断してください。』と必死の食らいつきをしました。

この結果、内定先では異例の採用プロセスの中でのインターンシップ

 

採用に応募した時には『もうここしかない。』という感覚だったので、考えうる全ての手を尽くしてよかったと思います。

 

これからの私

これからの私の話です。

若者の教育、といってもただ単に勉強教えることではなく、幅広いことができる予定です。

2020年に日本は「教育改革=ゆとり教育の終焉」を迎え、大学センター試験の廃止や小中学校の教育内容の変更(アクティブラーニングの導入とか?)があります。(やっとこさ日本の教育はアメリカンなヘブリカンになっていくってことです)

以下の資料はわかりやすい。

(ベネッセ 2020教育改革:http://benesse.jp/kyouiku/kyouikukaikaku/img/education.pdf)


つまり、これからの数年に若者を取り巻く環境はガラリと変わってくるため、私が何をして、何を成し遂げるのかということが非常に重要なんじゃあないかなって思っています。

 

そのため今は少しでも未来を濃く描くために勉強をしていきます。

(と言いつつ、ここ数日はドラゴンボール ファイターズという格ゲーをやりまくっていますが。)

 

まとめ

3年生の頃「早めに内定貰って安心したいわー。」

大手を受けていた頃「どうせ蹴るだろうし、いきたいところだけ受けよっと。」

ベンチャーを受けていた頃「業種がエンターテイメントじゃあないんなら、成長とかキャリアプランとか建てられないyo!!」

 

 

12月と1月の2ヶ月を、他の企業を全く受けず、出し尽くした私が言いたい事は、既に彼が述べています。

 

オレはこのSBR(スティール・ボール・ラン)レースでいつも近道を試みたが

『一番の近道は遠回りだった』

『遠回りこそが俺の最短の道だった』

この大陸を渡ってくる間ずっとそうだった

そしておまえがいたからその道を渡って来れた

ジョジョの奇妙な冒険 Part7 スティール・ボール・ラン ジャイロ・ツェペリ

 

また、私にとっては長い長い2年間でさえも…

 

オレは『納得』したいだけだ!『納得』は全てに優先するぜッ!!

でないとオレは『前』へ進めねぇッ!『どこへ』も!『未来』への道も!探す事は出来ねえッ!!

ジョジョの奇妙な冒険 Part7 スティール・ボール・ラン ジャイロ・ツェペリ 

 

はっ……この2年はSBRレースだった!?

 

なんて冗談も言ったところで終いにしましょう。

 

本日も読んでくれてありがとう。

心配・応援してくれた人、本当に「ありがとう」。

それしか言う言葉が見つからない。

 

 

また更新します。